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【健康】 妻が糖尿になりまして #4 人生の岐路

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 #4 妻が糖尿になりまして

 

人生の岐路

妻がようやく重い腰をあげ検診の予約を取った頃、私達家族に、大きな決断の時がきました。

期待されて田舎から出てきた私が、思うように営業成績が上げられず、リストラされてしまったのです。田舎の営業は、義理と人情で商品を売っていた部分が多かったのですが、都会は競合他社が多く、うまく立ち回れないまま2年が過ぎてしまい、突然解雇されてしまったのです。

妻に与えてしまったショックははかり知れません。やっと友達も増え始め、子供も幼稚園にもなれたというのに。しかし、ぐずぐずしてはいられません。私は選択を迫られました。

1 借金してでも実家に帰り、田舎で職をさがす。

2 このまま都会で仕事をさがして、もちこたえる。

 

 

みなさんならどちらをお選びになるでしょうか。今思えば、この選択が全てのように思います。

私は薄給でした。妻は専業主婦。ぎりぎりの生活で、貯金はほぼなし。お互いの実家は、もう一世帯住めるような余裕はありませんでした。もし、帰ったとすれば、まずは安いアパートを借りるか、最初はお互いの実家でバラバラに暮らすしか手はありません。

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人生の選択
私の選択

実家の近くには、私の弟夫婦が住んでいて、弟はある企業の支店長をしていました。栄転おめでとうと言われ、上京した私が、リストラされたからと実家に身を寄せる事が、なんだか気が進みませんでした。兄貴としての変なプライドが許さなかったですし、もし、帰って弟の嫁と、私の嫁が実家で会った時、かたや支店長の嫁、かたやリストラ無職の嫁では、耐えられないのじゃないかと思いました。

きっと、帰ったら離婚になると恐れてしまったのです。私は留まることを選んでしまいました。

この選択が良かったのか、間違いだったのかわかりません。ただ言えるのは、子供の成長にともない、幼稚園、小学校と進むにつれて、子供には子供の生活が出来てきてしまうという事実を軽んじていました。実家に帰るに帰れなくなる状況に陥ります。

 しかし、都会に残る選択をしなければ、私は、生きていく気力が奪われていたかも知れません。それほど落ち込みました。

驚きの報告

夫婦二人で呆然とするしかない状況です。私は急いでハローワークに通い、一刻もはやく次の仕事を見つけるしかありません。

そんな時に、妻から報告がありました。

「赤ちゃんが出来たみたい」

うそ~! うれしいけど、今やめて~。

しくじりました。完全に。まさかリストラされるなんて思っていませんでしたし。健康診断に行く為に一応検査して、見事に発覚です。

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うれしいがつらい

都会の核家族問題 

「家族だけでは育てられない」と育児の専門家は断言します。

親族から独立した核家族は、誰に頼ればいいのでしょう。専門家の話しでは、近所づきあいや、ママ友などの育児ネットワークを駆使するしかないといいます。

最初にモンスターピアレントにやられてしまってから、消極的になってしまった妻は、社会的ネットワークが極端に狭い上に、繊細さんである妻はずうずうしく人にものを頼むことができないという負のスパイラルに陥りました。

幼稚園に入り、やっと手が空き、パートでもと思った矢先の、妊娠です。

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完全にやばい
私がやらなければいけなかった大事な事

妻はいまだに、あの時はお前(私)はな~んにもしてくれなかった。と言います。妻の孤立感は半端じゃなかったそうです。4歳の子供との妊娠生活。私の役目はなんだったのか、今になるとわかります。子育ての悩みの聞き役になってあげればよかったと思っています。それを全くしませんでした。仕事探しに無駄にハローワークに行きました。顔を合わせることがつらかったのかもしれません。そういうことですから、妻が育児不安に陥ったのは言うまでもありません。この頃、妻は、くしくも妊婦検診を受け、また「妊娠糖尿病」と診断されます。

本当は、その前に糖尿病になっていたのかも知れませんが、前の子の時と同じか~くらいで、あまく考えていたふしはありました。

そのため、妻は一人目の時ほど、食事にたいして自制することはありませんでした。もう、どこを向いてもストレスだらけで、「食事まで制限されたら、お前(私)の首をしめてしまいそうだ」と言われ、強く言えませんでした。かなり本気でした。

再就職

 私は、訪問介護の会社に入ることに決まりました。病院や、施設には入らずに、自分の家にいらっしゃたまま、介護を受ける人に訪問して、介護をする仕事です。私はその所長候補生として入ることになりました。つまり、介護をする人のタイムシフトを考えたり、トラブルを解決したり、国に保険の申請をしたりする仕事でした。結構大変な仕事で、自分もヘルパー2級(今はそう言わないらしいです)を取得しなければならない等、覚えることが山のようにある上に、今までの仕事の給料よりも安く、アパート代で飛んでいくような給料でした。その為、私は夜、9時から夜の1時くらいまでのアルバイトを始めざるをえませんでした。妻とは、土日しかまともに話しすら出来ない状況です。

そして、事件は起きます。

介護の仕事中に、妻から電話が10回くらいなりました。音を消していたので、気が付かず1時間後くらいに気が付いて電話すると、出たのは4歳の子供。

「ママが~。ママが~」

ただ泣き叫ぶばかりです。会社に非常事態だと伝え急いで家に帰りました。

玄関を開けると、泣き叫ぶ子供の横で、血だらけで倒れている妻がいました。

つづく

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犯人はこいつ(私)です

 

※実話です。

 

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