子供の「道徳の教科書」を、親が読んでみた~③ 「いのちを考える」
みなさん こんにちは!今回は、中学2年の道徳の教科書を親が読んでみたシリーズ第3弾です!
今回は、実際に授業を受けてる感じで進めてみたいと思います。
そして、必ず項目の最後に出てくるこの、考えてみよう!をアラフィフが本気で考えてみたいと思います。みなさんも、考えてみてください。
今日のテーマは、『いのちを考える』です。教科書p130 その文章は、ホスピスでボランティアをしている童話作家の甲斐裕美さんの書いた「奇跡の一週間」
私はもう49歳。父親も他界しました。友達をがんで亡くした経験もあります。14歳の中学2年の生徒達が考える「いのち」と、ある意味、いろんな「いのち」を見てきたアラフィフが考える「いのち」は違うものになるかもしれません。
さて、授業をはじめましょう~
いのちを考える
奇跡の一週間 文:甲斐裕美
ホスピスでボランティアをしている童話作家の甲斐裕美さんの文章を要約して紹介します。
甲斐さんは、
「死んでしまう人に接していて、お別れする時、悲しくないの」
と、よく聞かれたそうです。
ホスピスとは、 がん等の末期患者の肉体的精神的苦痛を和らげ、安らかな死を迎えられるように援助する施設です。
甲斐さん自身も、入所者さんを『ガンにかかってしまってもう治らない人。まもなく死んでしまう人』という認識があったそうです。
しかし、ある人と出会い、その認識が間違いだったと気が付いたそうです。
その人とは、北村春男さんという、48歳の末期患者さんです。(北村弁護士ではありません)
絵を描くのが好きな北村さん
48歳で末期ガン! 中学2年生にとってはまだまだ先かもしれませんが、
私の場合は、
もう過ぎてるし~~
リアリティ、ハンパなし。
そんな北村さんは、絵を描くのが好きで、パソコンのお絵かきソフトで絵を描いていたそうです。
その絵を童話作家の甲斐さんは気に入り、今書いている童話の差し絵を描いてくれないか頼みます。
その童話とは、「痛みを取ることの大切さ」をテーマにかいた、まさにホスピスの事を解りやすく伝えた童話でした。
しかし、甲斐さんは、北村さんに、その事を頼んでから後悔しました。
末期で悲しいくらいに腕が細くなり、手を動かすのも重労働だったからです。
とても、絵を描く体力はないように見えたのです。
しかし、数日後、また北村さんの病室を訪れた甲斐さんは、思わず息をのみました。
北村さんの新しい作品が20点近く書いてあったからです。
プロとして接した甲斐さん
そこから、甲斐さんは、北村さんのことをホスピスの入所者ではなく、一人のイラストレーターとして接する事にします。
そこから、奇跡の1週間が始まります。
色やイメージをこまかく打ち合わせします。北村さんは、疲労で、ぐったりしてご飯も食べられないくらいになっても、描きました。
その姿を見た人はこういいました。
「まるで、自分の身体からあふれてくるものを、一生懸命両手ですくおうとしているようだった」と。
みんなが、北村さんのパワーと奇跡を信じていました。
しかし、ちょうど1週間目、甲斐さんと北村さんが、病室で、出来上がった印刷した作品を手渡し、色の確認をしたその日の夜。北村さんは眠る様に息を引き取りました。
甲斐さんの気づき
甲斐さんのショックは、大きく、何も手につかない日々が続きました。
しかし、北村さんから預かった作品を並べ、涙を流している所に、甲斐さんの母親が声をかけまました。
「あら、すてきな、絵ね」
甲斐さんはお母さんに、北村さんの話をしました。すると、お母さんは、
「お気の毒に。この絵は、もう死んでしまったかたの絵なのね」
と言いました。
甲斐さんは、この言葉に違和感を覚えました。
北村さんって、死んでしまった人なのだろうか。
北村さんって、ホスピスでもうじき死ぬ人だったのだろうか。
そして、お母さんにこう言いました。
「死んでしまった人じゃなくて、一生懸命生きた人よ」
甲斐さん自身も、入所者さんを『ガンにかかってしまってもう治らない人。まもなく死んでしまう人』という認識があったのは間違いありません。
しかし、北村さんに出会ってからは、
入所者さん達の事を
「もうじき死ぬ人ではなく、一生懸命に生きている人」と思うようになりました。
甲斐さんが、
「死んでしまう人に接していて、お別れする時、悲しくないの」
と、聞かれた時の答えは、変わりました。
「お別れする時は悲しいけれど、それよりもお会いできる事の方がうれしい」と。
みなさん これで奇跡の一週間の文章は終わりです。続いて、考えてみよう!に移ります
グループディスカッション
中学校2年生達は、ここからグループディスカッションに入るのでしょう。
道徳って、数学みたいにバシッと正解がないから嫌い!
娘がそう言っていたのを思い出しました。
アラフィフになると、正解がない方が面白く思えてくるのですが。
アラフィフの解答
「今さら日数なんて数えて何になりますか。人間が幸福を知り尽くすには、1日あれば十分ですよ」
これは、ドフトエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の一文です。
私は、この一文が納得いかなくて、ずっと考えていました。幸福を知り尽くすのに1日あれば十分って、どういうことよと。
その答えを、北村さんが教えてくれました。
その1日は、北村さんが、数日で20枚もの新作を描いたその時じゃないかと思ったのです。
おそらく、一日で何枚も絵を描いたのでしょう。その原動力は、「幸福」です。
その幸福は、「人に頼りにされる幸福」じゃないかと思います。
ただぼんやりと絵を描いていた時と違うのは、あきらかに、人から望まれて絵を描いたという事です。
死にゆく人から、今を生きる人になった事を、甲斐さんは直感的に感じたのだと思います。
「真剣」に絵の注文をつけ始めたのは、人に頼りにされる幸せを感じ、目を輝かせた北村さんをみて、うれしかったからじゃないかと思います。
今、私も命が尽きるまで、誰かに頼られるような人生を送りたいと思いました。それが、本当の幸福であり、生きる力のように思います。
みなさん いかがだったでしょうか。いろんな答えがあるのが道徳です。よかったら、みなさんの感想もお聞かせ下さい。それではまた次回!
参考文献: 新しい道徳2 東京書籍
写真: 新しい道徳2 東京書籍より抜粋
執筆: NANDEMO編集部